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Saturday, May 23, 2020

新型コロナ報道の罪【その2】恐怖の増幅|オオカミ少女に気をつけろ!|泉美木蘭 - gentosha.jp

緊急事態宣言が解除されても、「ソーシャル・ディスタンス」が推奨されていることがあり、営業再開した店舗も簡単には客足が戻らず、苦しい状況にある。加えて、夏の風物詩である甲子園まで中止するという。「新型コロナ報道の罪【その1】ステイホーム圧力と自粛要請」でも述べたが、それほどのウイルスなのだろうか。「感染の恐怖」に支配されてしまったことで、人々がみずから活力を殺し、自縛行為へと向かってゆくように見えて、とても心配だ。

 

(写真:iStock.com/ArminStautBerlin)

私も最初から楽観視していたわけではなかった。新型コロナの発生源とされる中国・武漢市が封鎖されたというニュースを対岸の火事として眺めていた1月末、その武漢市からの観光客を乗せた日本のバス運転手やバスガイドが感染したと報道され、なぜ政府は入国制限をしないのかと苛立った。その後、ダイヤモンド・プリンセス号での感染蔓延を見て、これが市中に広がったら大変なことになるんじゃないかと不安に思いはじめた。

2月27日には、政府が全国一斉に臨時休校するように要請を出し、店頭からはマスクが消え、デマによってトイレットペーパー騒動が起きた。にわかに非常事態感が出てきた。マスクの残数を数えて、身構える心境があった。

「8割は感染させず、8割は軽症」の公式見解は、いつの間にか蒸発

3月1日、厚労省から公式見解が発表された。「日本国内で感染が確認された人のうち、重症・軽症に関わらず約80%は他人に感染させていない」「症状のある人の約80%が軽症、14%が重症、6%が重篤となっているが、重症化した人も約半数は回復している」という。

2020年3月1日の日本経済新聞より。安倍首相も会見で同様の説明をしている。

私はこれを聞いて気が抜けた。「感染力が弱いんだな。たまに肺炎になるインフルエンザみたいなものかな」と解釈して、安心したのだ。喘息の気があるので注意しようとは思ったものの、「感染したら死ぬ」という凶暴なウイルスではないようだ。手洗いとうがいを心掛け、しっかり栄養と睡眠をとっておこうと思った。

ところが、この「8割は感染させず、8割は軽症」という情報は、たちまち蒸発した。マスコミは連日、各地の新規感染者数を速報し、「〇〇市でクラスターが発生」「重症者は急速に悪化」といった具合に、「脅威がどんどん近づいて来る」というような不安を煽る報道をくり返しはじめたのだ。周囲にも怖がる人が増えた。

会食の席で「日本では、毎年インフルエンザに1000万人が感染して、1万人が死亡している」という話を聞いたのはこの頃だ。驚いたが、医学の世界では常識だという。まだ新型コロナの感染者数は300名程度、死者は数名の頃だったので、「インフルエンザでも学級閉鎖で済むのに、なぜ新型コロナは一斉休校なんでしょうね」など話し、政府の対応とマスコミに違和感を持った。

もし、インフルエンザの感染者数、死者数をテレビで毎日速報すれば、新型コロナの比ではない脅威に日本列島が震撼するのではないだろうか。だが、マスコミにはそのように相対化する視点がないようで、ひたすら「新型コロナの恐ろしい部分」にのみ注目が注がれはじめた。

「海外の惨状」と「日本の状況」をごちゃ混ぜに報道

3月13日、改正新型インフル特措法が成立し、少なくない人々が「早く緊急事態宣言を出して自由を制限しろ」と強権支配を望みはじめた。

この頃のマスコミは、イタリアの医療崩壊の話題で持ちきりだった。1日数百名単位の死者が出て、野戦病院のようになった医療施設の映像が紹介される。苦しそうな患者の映像も取り上げられて、「イタリアは日本と同じ高齢化社会」「明日は我が身」というイメージが強く打ち出される。

もちろん実際に起きていることだし、私も日本のICUベッド数は足りるだろうかと心配になったが、一方で「日本も同時期にウイルスが上陸しているのに、どうしてイタリアだけがこんなことになったのだろう」という強い疑問があった。この頃の日本の1日の死者数は2~3名ほどだったからだ。

調べてみると、イタリアはもともとEUから緊縮財政を強いられており、過去数年で758もの医療機関を閉鎖していたらしい。優秀な学生は他国へ流出してしまい、コロナ以前から、医師が5万6千人、看護師が5万人不足という医療崩壊寸前状態だったという。日本も公立病院の再編統合や、医療機関の人手不足が長らく語られているが、イタリアはもはや自国で医師を調達できない地域があり、貧しい他国から医師を呼び寄せる状態になっていた。

日本とイタリアは、似た点もあるが、状況が違う。同じウイルスが上陸しても、国ごとに情勢も医療制度も地理条件も国民性も違うのだから、どこでも同じようになると考えるのは短絡的だろう。インターネットで世界中の情報が瞬時に手に入るために、「地球はひとつ」と錯覚しがちかもしれないが、ここは踏まえておかなければ見誤ってしまう。

マスコミは、国ごとの違いは無視していた。時がたつにつれ、欧米では千人、万人の単位で死者数が膨れ上がる一方、日本では、圧倒的に死者が抑えられているという状況が如実になっていったのだが、ひたすら海外の惨状を報じては「新型コロナ恐怖症」をばら撒いたのだった。

インフォデミックに加担しはじめたワイドショー

世界保健機関(WHO)からは「インフォデミックによって信頼性の高い情報が見つけにくくなっている」という警告が出されていた。インフォデミックとは、情報(Information)の急速な伝染(Epidemic)を短縮した造語で、正しい情報と不確かな情報、デマなどが混在し、社会不安に陥った混沌状態のことだ。SNS上でのデマを発祥とし、空っぽの商品棚や行列する人々の姿がくり返しテレビで流されたことでヒートアップしたトイレットペーパーの買い占め騒ぎが良い例だが、私は、マスコミがインフォデミックに加担していると思った。

テレビ界では、スポーツも中止、ドラマも撮影中止となり、新型コロナを扱う「報道系」だけが空前の高視聴率に沸く状態だったらしい。特に絶好調なのは、朝のワイドショー・テレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』で、2月後半ごろから、連日2時間コロナ一本で放送しつづけて、同時間帯で断トツのトップ、13%台という高視聴率を記録する日もあったという。

官邸はこの番組を長期間にわたって監視していたというが、3月初旬には、厚労省がツイッター上で番組名を名指しして反論するという異様な状態となり、ネット上でもますます注目が集まっていた。

2020年3月5日に厚労省のツイッターに投稿された『羽鳥慎一モーニングショー』への反論

パネルに世界の感染者数、死者数を貼り出して、発症してから死ぬまでの流れを詳しく解説するなど、日々さまざまな切り口で恐怖を煽る一方で、日本における死者数の少なさや、「8割は感染させず、8割は軽症」という情報には触れないというのが、主な手法だった。

もともと日本は高齢化社会のため、健康不安を扱えば数字がとりやすいと言われているが、新型コロナに乗じてそれを極限にまで高めているように見えた。午後のワイドショー番組も、夕方のニュース番組も、程度に差はあっても、似たようなものだった。

くり返された「いまの東京は2週間前のニューヨーク」

3月20日(祝・金)からの3連休は、多くの人が花見を楽しんでいた。だがその翌週、ニューヨークでは感染爆発が起きて死者が急増、外出禁止令が発令されていた。すると、「東京は2週間後、ニューヨークになる」というフレーズがネット上で広まり、テレビコメンテーターや一部の専門家によって使われはじめた。

無限増殖状態になっていた「2週間後はニューヨーク」

一番早いもので3月28日に『新型コロナ、いまの日本は「2週間前のニューヨーク」かもしれない』というネット記事が確認されるが、テレビでは、私が確認した範囲で少なくとも4月15日頃まで何度もくりかえされていた。2週間後って一体いつのことだろう、という状態だ。

あまりにもたびたび聞かされるので呆れていたのもあるが、3月末の日本の死者は50名程度で、周囲にも感染者はおらず、私は、そんなことが起きるだろうかと懐疑的だった。平和ボケと言われればそうかもしれないが、そもそもイタリアと同じく、東京とニューヨークとでは条件が違いすぎるからだ。

衛生観念も、他人との距離感も、体格もまったく違う。公立学校の給食にジャンクフードやコーラが出るのがアメリカで、特に貧困層は野菜を食べる機会も少なく、栄養失調なのに肥満体だったり、糖尿病だったりする人が多い。さらに、アメリカには国民皆保険制度がなく、無保険の人が多い。新型コロナの治療で3,900ドル(約420,000円)請求されたという話もあり、保険関連サイトの調査では、半数が「新型コロナの治療費を支払うために借金が必要」で、10人に1人が「治療費が高額なので、感染しても治療は求めない」と回答したという。

周知のとおりだが、東京は東京でしかなく、とうとうニューヨークにはならなかった。テレビはオオカミ少年になってしまった。

「正しい情報」より「恐怖を伝えること」が目的と化したテレビ

有名人の死も、大いに利用されていた。3月29日には、志村けんの死去が報じられ、子どもの頃から見ていたスターだけに、衝撃を受けた。友人たちからは「ショックだね」という悲しみのメールが届き、テレビからは「志村さんは新型コロナの恐ろしさを教えてくれた」というコメントが語られた。

ただ、死去が報じられた日、日本の累計死者数は54名で、やはりインフルエンザのような脅威には届かない状況にあるというのが、日本における新型コロナの実態だった。

4月23日、岡江久美子が死去した際には、報道陣が詰めかけて、遺骨となって帰宅する様子が生中継された。アナウンサーは「コロナで死ぬと、最後のお別れもできないんです!」「これがコロナの恐ろしさです!」と実況。このような報道には批判の声が上がり、「新型コロナがいかに恐ろしいものなのか、その無情さを伝える必要もあるという観点から、この映像を流すことに致しました」と説明する番組まであった。

2020年4月27日『デイリースポーツ』

だが、ここでマスコミは大事なことを伝えていない。コロナ死者が遺族と対面もできずに遺骨となって帰宅することは、なんとなく「仕方がないこと」として受け取られている向きがあるが、実は違うのだ。厚生労働省の公式見解にはこう記されている。

「感染拡大防止対策上の支障等がない場合には、通常の葬儀の実施など、できる限り遺族の意向等を尊重した取扱をする必要があります」
「遺体が非透過性納体袋に収容、密封されている限りにおいては、特別の感染防止策は不要であり、遺体の搬送を遺族等が行うことも差し支えありません」
「火葬に先立ち、遺族等が遺体に直接触れることを希望する場合には、遺族等に手袋等の着用をお願いしてください」


衛生対策さえできていれば、最後のお別れはできるのである。現実には、遺族と対面できないまま荼毘に付されることが多いようだが、通常の肺炎死なのか、コロナなのかがきちんと伝えられていなかったケースもあり、葬儀業者も神経をすり減らすことになってしまったようだ。これほど恐怖が煽られていては、それも無理のないことだと思う。

有名人の訃報は、ますます人々を委縮させることに使われてしまった。おかげでネット上の一部では、「やけに有名人のコロナ死者が多い。実はもっと大勢のコロナ死者がいるのではないか」とまでささやかれた。実際は「やけに多い」のではなく、マスコミが「コロナ」に注目しているから多く感じただけではないだろうか。志村けんも岡江久美子も、コロナがここまで注目されていなければ、「肺炎で死去」「多臓器不全で死去」などの言葉で伝えられただろう。インフルエンザでも肺炎球菌でも、死因は「肺炎」「髄膜炎」「多臓器不全」となるわけで、その原因菌や原因ウイルスまでは公表されないものである。

マスコミのずれた過熱報道によって新型コロナは、すっかり「死の感染症」のようなイメージをまとってしまった。次回も、現実とかけ離れた報道の実態について分析したい。

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May 23, 2020 at 02:00PM
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