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Sunday, February 16, 2020

ジャーナリスト・堀潤が訴える“主語が大きい世界”の怖さ(TOKYO MX) - Yahoo!ニュース

TOKYO MX(地上波9ch)朝のニュース生番組「モーニングCROSS」(毎週月~金曜7:00~)。この番組でMCを務めるジャーナリスト・堀潤が映画を作った。タイトルは、「わたしは分断を許さない」。香港、パレスチナ・ガザ地区、シリア、朝鮮半島、福島、沖縄などを取材し、約10年の月日を費やしたという。堀はそこで「分断」という現象を見た。理不尽に幸福を奪われ孤立させられる人々を目撃した。温厚な堀の内側から出た「わたしは許さない」という言葉にどんな意味が込められているのか、民主主義とは何か……心の内を尋ねた。

──さまざまな地でそれぞれ主張を持つ人々を取材し、生の声を映像にしました。こうした題材の作品を作ろうと考えたのはなぜですか?

イメージが先行しやすい現代で、ファクト(事実)を掘り下げたいという思いから本作を制作しました。いまはニュースもエンタメ消費しやすい世の中。記事の見出しや画像1枚を見て「こうに違いない」と判断してしまいがちです。決めつけが横行し、強いオピニオンが政治すらも動かしています。一方で、ファクトだと主張しても「フェイクだ」と押し返されてしまう。そんな構造に僕たちは生きていると主張したかった。

では、ファクトを浮かび上がらせるためにどうしたらいいか。世界各地で問題解決のために行動する一人ひとりに焦点を当てることが最適だと思いました。劇中には、世間や政治の動きとは離れたところで人道支援をするNGOやNPOの人々、自由を勝ち取るために行動に出る人々が登場します。その現場から、ファクトとは何かを感じ取ってもらえたらと。

本作を作ったもう1つの理由は、今も取材を継続している福島の原発事故を改めて伝えたかったからです。東京オリンピック・パラリンピックの盛り上がりから被災地の話が過去の記憶になりつつあるなか、もう一度、事故とはどういうものだったのかを訴えたかった。

──福島と他国の問題を同列に並べて取材することで、どのようなことが見えてきましたか?

本来の幸福の追求ができない、孤立させられている、誤解や偏見のなかで留め置かれているなど……どの現場でも「分断」という現象が根深くなっていくのが見えてきました。

──取材を通して、意識の変化はありましたか?

そうですね。原発事故が起きたばかりのころは「なぜ国は、なぜ電力会社は」という思いが強かったのですが、現場を訪ね歩いているうち、次第に「これは自分の問題だったのでは」と深く痛感させられました。実情を薄々と知りながらも目を向けない、声をあげない……自分も分断を引き起こす側に回っていたのではと。

──固定概念が覆されることもあったのでは?

はい。例えば北朝鮮の平壌を訪朝しても、最初はいちいち驚くわけです。みんなスマートフォンを手にしている、駅が意外にきれい、テレビが液晶だとか。日本に伝わる北朝鮮のイメージは核ミサイルや金正恩氏、マスゲームなど、とても固定化されています。「営みをしている人がいる」という当たり前を、現場で実感しました。

──堀さんと言えば、SNSなど現代的なツールを駆使して現場とつながるイメージがあります。SNSやYouTubeなど新メディアでなく、なぜ映画という形にしたのですか?

顔を突き合わせて対話する場を作りたかったからです。今ではYouTubeやTwitter、Facebookなど、いろいろな方法でアプローチできるようになりました。

そんなときだからこそ、立場や意見が違っても腕組みしながら考えて話す場をメディア側から提供したかった。以前から写真と映像の展覧会を催し、現地で皆さんと話し合っていますが、今回も同様に可能な限り各地の映画館を巡って対話をしたいと考えています。

──タイトルの「わたし」という主語にも強い意思を感じます。込めた思いをお聞かせください。

「みんなそう思っている」「今、社会の流れはこうだから」……実は“私が思っていること”なのに、リスクを回避するために主語を大きくする場面を最近ではよく目にします。だから今回、1つの問題提起として「僕はこう思う」と、主語を小さく自分に置いてみました。

普段、そんなふうに「僕はこうだ」と主張しないのですが、経済合理性を求めて便利さや効率を求めるあまり、弱い個人の権利が削ぎ落とされていく成長のやり方には、やはり「ノー」と声をあげたいから。

同時に、誰もが「僕は」「わたしは」と、自分の言葉で伝え合える社会がくればいいなとの思いも込めています。

──劇中では、直接対話の重要性も描いています。ただ相手への理解が深まるにつれ、自分の主張が揺らぐ様子も映されていました。

百人いれば百通りの考え方がある世の中です。「これで満額オーケー」という選択はめったにありません。それは10年間の取材を通してよくわかりました。では、選択に含まれなかったものは間違っているのか。切り捨てなければならないのか。そんなことはないはずです。だから僕は、腕組みしながら一緒に考えたいのです。

“白黒かはっきりさせる”とは、時間を区切り決断をする作業です。直接対話とは、そんな効率性とは正反対に位置します。面倒だし、しんどいし、時間もかかる。では民主主義と対極にある、独裁者がスピード感を持って一気にけしかけていくやり方に拍手を送るのですか? と問われると、僕はそちら側を好みません。

一方で、民主主義という言葉がまだこの先も残るのかな、という疑問も。これだけ経済合理性を求める風潮が強まると、選択に時間がかかる民主主義を捨て、迅速な決定に価値を感じてしまうような世界になるのではという不安・危機感がぬぐえません。

劇中では経済の話も描いていて、生業と理念が衝突する場面がしばしばあります。そうした一幕も皆さんと共有できればと思います。

──この映画をどんな人に観てほしいですか?

観る方は選びません。誰にとっても「わたしの話だ」と思う内容になっているはずです。分断はどこにでもありますから。加えて、世界各地で起こる一見バラバラの出来事や問題が奥底ではつながっていると感じてもらえたら嬉しいですね。

──各国の現場を同軸で見ると、身近で起きている分断と世界が地続きになっているのを感じます。印象に残っている取材を教えてください。

米・ロサンゼルスの高級ホテル前で、米国のイスラエル援助に抗議するデモ隊の姿が出てきます。そのホテルでは、イスラエル国防軍の資金集めのためのパーティーが開かれました。参加する米国の政財界人がホテルに入っていくのに対し、少数が旗を手に声を上げていました。2012年のことです。そして、その2年後にイスラエルがパレスチナ自治区ガザへの侵攻に踏み切りました。

僕は当時、軽い気持ちで現場を取材していて、数年後にあんなことが起きるなんて想像もしていませんでした。その価値に気づけなかった。たった二十数人のデモ隊だけが本当の危機意識を持っていたのです。

スクリーンに映るのはわずかな時間ですが、深い教訓があります。今起きている現象が数年後にどうなるのか、絶えず比較していかなければいけないと痛感しました。

──劇中では、報道のあり方を問う一幕で「会社を守るための報道規制」についても触れます。報道に関わる立場として、どう感じますか?

ファクトなのかフェイクなのか、それを振り分ける最前線の現場がメディアのはず。ところが内側にいると、視聴率やページビュー(PV)に惑わされてしまう。運営を続けるために“儲けなきゃいけない”からです。

同じ現象が戦前からあり、「生業(なりわい)を守らないと発信ができない」というジャーナリスト・むのたけじさん(※劇中に登場。2016年死去)の無念の言葉に、今と昔の変わらなさも感じました。本当は違和感を覚えたいのに「むのさん、その通りです」と思わずうなずいてしまう現状がある。身の引き締まる思いです。分断を引き起こすメディア側の問題もスクリーンで目撃してほしいですね。

──最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。

この映画のキャッチコピーは「こんなはずじゃなかった。それでも、諦めたくない」です。確かに、世の中こんなはずじゃなかった。でも「しょうがないよね」ではなく、もうひと踏ん張りして諦めずファクトを伝えようという思いが込められています。ぜひご覧いただき、映画館でいろいろな議論が生まれればいいなと思います。

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February 16, 2020 at 04:03PM
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