日本ハム監督の新庄剛志が阪神を退団し、大リーグ入りを決意した2000年のオフだった。元阪神監督の中村勝広、スポーツ紙記者らとともに、筆者も在京の阪神ファンの集いに招かれた。どうすれば阪神を強くできるかというテーマだった。
新庄の大リーグ入りがうわさになっていた。「どんなことがあっても新庄を手放すな」と主張した。チームリーダーと見られる選手はいる。それとは別に、この選手が打つと、ワッと盛り上がる人物がいるものだ。それが新庄。1本の安打でも、数字を超える価値を生む選手を大事にしなければならないと言いたかった。
若手の感性に合う「新庄節」
その時、新庄はすでに大リーグ入りを決めていた。当時と変わらず体形はスマート。大リーグ、日本ハムでプレーしたあと、長いブランクを経て、今は日本ハムで球界をワッと驚かせる奇手、妙手を連発して指揮をとっている。ちょっと「軽い」と感じる言動が多いが、若い選手の感性に合ったものも少なくない。
そのひとつに、清宮幸太郎の腹の肉をつまんで「痩せた方が格好いいよ」というアドバイスがあった。「体重を落とすと飛距離が落ちる」と清宮が応じると「今でも打ってないじゃないか」と笑った。
1974年オフに阪神監督に就任した吉田義男が、同じことを言っている。当時の阪神には田淵幸一、遠井吾郎、江夏豊ら肥満体の選手が多く、大相撲になぞらえて「阪神部屋」とからかわれていた。太り過ぎると膝、腰などへの負担が大きく、故障、夏バテの原因になる。
吉田は当時のどの監督もそうだったように、発言は指示調だった。最初のミーティングで「入団した時のユニホームに合わせた体作りをするように」と言った。入団時のユニホームは「初心」を象徴する意味があった。
阪神・田淵も痩せてタイトル獲得
太り気味のベテラン勢は「ベーブ・ルースだって太っていたじゃないか」「前へ突き出す腹はいけないが、横腹はいいんだ」などと、陰で反発した。「格好よくなるよ。痩せようよ」と誘う新庄と「痩せるべし」というニュアンスで迫る吉田との違いは、時代の差がもたらしたもので仕方ない。だが、今では新庄調が圧倒的に受け入れやすいに違いない。
75年の田淵はスリムになり、43ホーマーを放ってセ・リーグの本塁打王になった。15回も本塁打王になった全盛時の巨人・王貞治を抜いた、ただ1回だけのタイトル獲得だった。「あのときのトレーニングを続けていたら、もっとタイトルを手にしたのに……」と、吉田はいまだに惜しんでいる。
今春のオープン戦を見る限り、清宮と阪神・佐藤輝明の引き締まった体が目立つ。清宮はスリム化に見事成功した。打撃フォームを改造しているため、1軍定着はしていないが、今季は違った姿を見せてくれるだろう。
佐藤輝は体重に大きな変化はないようだ。だが、はっきりと分かる引き締まった体は、相当にトレーニングを積んだと感じさせる。スイングは鋭くなり、空振りが減った。昨季の後半戦のような大不振には、よもや陥ることはないだろう。先輩田淵の気の緩みと同じ失敗をしないように、スリムな体形を保ってほしいと思う。
西武の100キロトリオ
ベーブ・ルースではないが、太っていても好成績を残している選手が確かにいる。西武には中村剛也、山川穂高、渡部健人の「体重100キロ」トリオがいる。ともに身長は170センチ台。身長マイナス100が打って走る野球選手の理想的体重とされたのは大昔のことか。それだと、176センチ、112キロの渡部は、30キロ以上の減量をしなければならない。
中村は02年に入団して、今季がプロ生活21年目。肥満選手は活躍期間が短いという定説を打破している。ニックネームの「お代わりクン」は若いころの大食漢ぶりをからかわれたもので、節制に努めたからこその長寿だろう。ただ、故障による欠場が多かったのも事実。その辺りを後輩の山川、渡部は分かってほしい。
大相撲の力士は大きな体そのものが強力な武器になるので、食事の量は驚くほど多い。野球選手がまねても成果が上がるはずがない。体重と長打力、チームの優勝との関係はどうなっているかを、一度じっくり調べてみたいと思う。(敬称略)
からの記事と詳細 ( 野球選手のスリムと肥満 大きいことはいい…とは限らず(写真=共同) - 日本経済新聞 )
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