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Tuesday, March 29, 2022

【注目のヤングレーサー 11】苦労の分だけ喜びは大きい!フレッシュルーキー岡本翔太郎 - スポーツナビ - スポーツナビ

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1952年4月6日に大村で幕を開けたボートレースもやがて満70年。この間、数多くのプロレーサーが誕生してきた。
選手は養成修了時、固有の登録番号を授かるが、偶然にも5000番を手にしている。時代の扉を開くこととなったのである。

小さい頃から夢中になるタイプだった岡本翔太郎は小学校時代、合唱部に所属。
「NHKのコンクールにも出るなど本気でした」という。
朝練のため6時前に起床し駆け足で学校に向かっていたのである。

中学はテニス部に在籍。部活が終わると夜11時まで塾で勉強し、帰宅後は毎日欠かさず午前3時まで机に向かった。
そのかいあって進学校に進むが、今度はラグビーを始める。
身長160センチと小柄なのに「本気でプレーできる競技」への憧れがそこにあった。

そんな頑張り屋の岡本がボートレーサーを目指したのは、高2の時。
幼い頃、父から「小さいからボートレーサー向き…」と言われていたのも影響した。
学校関係者の中には反対する者もいたが、「挑戦できる仕事って面白い」と志を通す。

しかし、試験のカベは高かった。
自信があった1次試験(国語・数学・理科・社会)で落ちること4回。もう一度、中学の参考書を徹底的にやり直すことになる。
また、自分の部屋を筋トレルームに変えて心身を鍛えた。

それでも5回目と6回目は2次試験どまり。この間、岡本翔太郎はスーパーのベーカリーショップでアルバイトをしながらチャンスをつかもうとしている。

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